2013年10月31日木曜日

2687、船上の日の出

kurochan@スマホ
◆修学旅行四日目は、夜明け前の関空沖から。

2686、修学旅行三日目

【10/30深夜】kurochan@スマホ
◆修学旅行三日目は、各種体験学習で、kurochanは球磨川のラフティングに生徒と同乗。案の定、川に転落(させられた)。他のグループは球磨川下りや宮崎でのいろんなマリン体験。(志布志じゃなくて)宮崎港からフェリーでただいま太平洋上。総出の巡視、引率打ち合わせとあいなり、綺麗な星空の甲板でもうまく電波がとばず、家族へのメールもこの投稿メールもいつ届くことやら。川上哲治記念球場をみた日に、死去のニュースが飛び込んできたので、同僚もガイドさんも運転手さんもびっくり。明日朝南港に到着、バスで帰校なり。といってもメールが届くのは明日朝かな?

2013年10月29日火曜日

2685、修学旅行二日目

kurochan@PAD
 ◆修学旅行二日目は、知覧特攻平和会館で平和学習。ホールで歴史的背景や特攻隊員の遺書についての説明を受けて、三角兵舎や資料館の見学。母を思いつつ「お国のため」と言い聞かせて命を捨てさせられたことが悲劇であり、ここまでして進められた愚かな戦争の犠牲者が国内外に無数にいることの根本責任が曖昧なままなのが今もって解決されていない罪なのだと思う。写真は、映画『ホタル』のロケがあったことを示しているが、この映画に描かれていた高倉健扮する特攻兵の先輩特攻兵は朝鮮人だったように、植民地だった朝鮮や台湾出身の特攻兵も多かったという。軍隊内の民族差別が志願を後押ししたとも言われる。これも辛い悲劇の実相だ。資料館のパネル検索では、出撃した1036名中、朝鮮半島出身が16 名、樺太出身が9名、台湾出身が1名とあった。ずらりと並ぶ肖像写真には本名の者もあったが、日本名で朝鮮半島出身と記されている者が多かった。午後は鹿児島市内で、班別行動。生徒たちとうろうろ歩く。ラーメンやマンゴーパフェを食べ、西郷隆盛や大久保利通などの生誕地がご近所だということを歩いて確かめ、お土産も買って、お腹も脚もクタクタ。晩は霧島のホテルで今宵も断続的巡視なのでありました。明日は、各種体験学習に分散するが、kurochanは、ラフティングに生徒と同乗。晩は志布志市からフェリーで帰路だ。

2683、訂正

kurochan@スマホ→PAD

2684、夜明け

kurochan@スマホ
◆四時間近くも寝ましたよ。あれに見ゆるは大隅半島?

2013年10月28日月曜日

2683、修学旅行初日

kurochan@スマホ
 ◆3泊4日の修学旅行は、朝4時代台起床で始まった。鹿児島の指宿・霧島をベースに熊本か宮崎での体験も含めた長丁場だ。バスで新大阪駅、新幹線で鹿児島中央駅、バスで仙巌園、引き続き指宿へ。元気一杯、愉快な連中で、おもろいけど腹減ります。夜も断続的な巡視と引率ミーティング。心配していた台風も過ぎ、噴煙ふく桜島も望めて、無事初日も終えられそうです。
 ◆シンデレラになるかならぬかの毎夜の残業で、とても「日々」は書けないのに、「日々」雑感とはこれいかに。授業準備、事務局資料作成、講演準備、寸暇に読書が基本。新聞スキャンも連日100枚近くを追加しているし、ドキュメントスキャナーも薄い冊子も入れてこの間の事務局日のべ16日で328冊12761ページを自炊。面接指導や別室指導、いろんな立ち番、会議や集会の準備や運営、体育大会もあったし、結婚記念日もあったし、Windows8.1PCも買ったし、亡母の遺品整理もしたりで、今は修学旅行引率で、その間に関西ネット「ちがうことこそすばらしい!子ども作文コンクール」の全応募作品の評価もしてしまわねば。修学旅行終了日もその翌日も、連休中にも仕事が待ってるんですわ。妻も子どもも待ってくれてるのも忘れてはいませんよ。

2013年10月25日金曜日