2012年10月20日土曜日

2600、雨宮処凜さん

kurochan@PC
◆テスト監督、採点、授業プリント作成、避難訓練、学校Webサイト更新、新聞スキャン、原稿執筆と、めまぐるしく日々が過ぎてゆく。書籍も相変わらず続々届く。◆19日は奈人教研究大会初日に参加。若手教員3人のトークに大いに元気をもらい、雨宮処凜さんのトークに多数のヒントをもらった。子どもたちと瑞々しく向き合う若手教員の日々の報告に初心を思い出す。人と人との「つながり」とそれを支える「であい」。その基盤となる「向き合う」という姿勢。子どもとも保護者とも同僚とも地域の方々とも、そして家族とも向き合わねばね。雨宮さんから得たヒントは多数あったけど、「自由と生存の両立」というキーワードにはハッとさせられる。フリーターは、ある意味で自由かもしれないが生存が脅かされているし、僕は生存は脅かされていない、つまり生活が安定しているが、自由が削られているのかも知れない。現に、早朝から深夜遅くまで、17〜18 時間労働はざらである。まだ融通が利く部分があるので精神的に耐えられているし、第一、子どもたちの笑顔や成長とつきあう仕事だから、充実している。ともあれ、自由も生存も、実はどちらも脅かされているプレカリアートであり、SOSを発することさえ封じ込められ、自己責任に縛り付けられていることへの怒りも自覚さえも奪われているのかもしれない。「私は間違っていないと思っている正しい大人」に追い詰められてきたという雨宮さんの警句にもハッとさせられたのでありました。自分も、同僚も、このセリフで点検してみたくなる。「いじめられていた」という有名人の告白、「ダメな大人」、そして「生き延びるための知識」が子どもたちを救うというメッセージは、親としても教員としても、自分の営みを見つめる視点として有効だ。ただし、この日は、反原発デモの動画上映もあったものの、反原発の理念の提示が、原発ゴミが米国での濃縮を経て劣化ウラン弾につながっている可能性についてしか語られなかったのは不満であった。橿原文化会館大ホール一杯の客席に発言を求め、ようやく1人の教員が発言したに過ぎなかったことへの雨宮さんの落胆と、 結局手を挙げそびれた自分への嫌悪もあって少し疲れた金曜日であった。◆20日は、朝からサンウリム実行委員会、午後は久々にミアコーロに参加。日本軍「慰安婦」の今を中心に自由学校の学びの時間となる。で、月曜日返却のテストを採点し、授業プリントを作成し、結局深夜にいたったのだが、これをどう受けとめる?自分はともかく、少なくとも妻や子は満足するはずはないよね。

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